ミズノのもっと詳しいプロフィール

さて、このプロジェクトにある程度興味をもっていただいた方は、「ウチのホームページを作るのは一体どんな男なのか」と、気になるところではないかと思い、わたくしミズノケイスケについて、恥ずかしながら自分で自分を語って見ようと思います。

 

ちょっと長いですが、最後までお読みいただければ幸いです。

博愛主義の夢想家。
Photo is taken by David Zack

なにをカッコつけたことを言っておるんだ!・・・そう、思われますよね。まあまあ、実はこれ、僕の言葉ではなく、ある占いの本に書かれていた言葉なんです。

 

12月20日生まれは、「協調性のある博愛主義の夢想家」である、と。自分でいうのもアレですが、当たっているふしもあるんじゃないかと思います。

 

—博愛とは、すべての人を平等に愛すること。

 

と、辞書に書いてありました。そ、そう言われてしまうと、僕は博愛主義ですと胸をはるのがおこがましく感じてしまいますが。

 

平和主義ではあります。争いごとは、苦手です。できれば避けたいです。みんなが楽しく、笑って暮らせればいいと思います。戦争は、なくなればいいと思います。

 

と言いつつも、嫌いな人もいますし、人を憎むこともありますし、じゃあ、戦争をなくすために、飢えてる人をなくすために、なにかしているか?と言われれば、なにもしていないに等しいのが現実。

 

—夢見がちな少年時代。

 

いや、今も?夢見がちなところがあるのでしょう。20代の頃は、そんなにたいした努力もしないで、「音楽で食っていく」なんて言っていたくらいですから。さすがに今はそんなこと言わないですけど。(でも、音楽は死ぬまでやっていたい)

 

—でっかいことが、したいんだ。

 

もう30も過ぎた今でも、考えるのはでっかいこと。「世界中の人が、もっと音楽を楽しめるようにしたい」とか「自分が好きなアーティスト集めてフェスがしたい」とか、そんな妄想したりしちゃいます。

 

言ってればいつか叶うのか、いずれ身の丈を知ることになるのか、わかりませんが、とにかく「でっかいこと」を考えてしまう傾向にあるようです、僕は。

ガンコじじぃと呼ばれて。
Photo is taken by Peter Renshaw

嫁さんに言わせると、とても頑固な人のようです。「このガンコじじぃが!」と、マンガのような台詞を吐かれたこともあります。自分としては、とっても素直で、砂漠に水を落とした時のように、すっと吸収できる人間だと思っていたのに!

 

なんとなく、自分の中で基準があって、ストンと腑に落ちたことはすっと吸収する。なんか違うと感じたことは、自分の中の魂が拒否反応を起こしているかのように、嫌がる。そんなところがあるような気がします。

 

—ウソが嫌い。

 

例えばこんなエピソードがあります。嘘が嫌いです。もう大人です、そりゃ時には必要な嘘があるってことはわかっています。ただ、人から言われて、体裁を整えるために嘘をついてくれ、と。言われたときには拒否反応です。ちょっとした体裁のために、なぜ自分が嘘をつかなきゃならんのか!

 

・・・具体的な話じゃないので、イメージしづらいでしょうか。とにかく、気に入らないことに対しては、頑なな姿勢をとるきらいがあります。

 

—柔軟なところもあるんです。

 

とはいえ、先にも述べたように平和主義でありますので、争いごとが起きないよう柔軟に対処する術も持ち合わせているつもりです。

 

特に、Webディレクターという仕事を通じて、ビジネスシーンでは大人の事情はついて回るものだと学びました。頑固な自分を抑え、スムーズなWeb制作の進行を心がけています。

 

ただ、本心を言えば、大人の事情なんてクソくらえだし、心の底から納得の上で物事を進めて行くほうが、気持ちがいいし、がんばれますよね。

向上心だけは一人前。
Photo is taken by Matthew T Rader

「向上心がある」というのか、常に焦っています。心に余裕がない。成長しなきゃ、成長しなきゃって、いつも。なぜなのか、と考えると。

 

—・・・劣等感があるから?

 

特に、バイトしながら音楽していた時なんかは、よくある社会の役に立てていない劣等感が。それから会社に入ってWebの仕事をはじめてからも、遅い年齢からはじめた劣等感、専門的な学校を出ていない(4ヶ月の職業訓練校です)劣等感、そんなものがあるのかも知れません。

 

上を見ればキリがないし、人と比べることに意味ないなんてことはわかっているつもりですが、その劣等感が「勉強しなきゃ」っていうエネルギーになっているのなら、それもいいのかなとも思います。

 

あ、あと、単純に勉強というか学習というか、「なにかができるようになること」「知らなかったことを知ること」、要するに「成長する」ということが好きで、楽しめる人間である、というのは間違いないと思います。

 

—の割に、寝ていた20代。

 

そんな成長が楽しいなんて真顔でいっていますが、寝るの好き。春のまどろみ大好物。だらだらするの好き。

 

20代前半の頃なんかは、体が弱かったということもあり、とにかく寝てました。バイトで時間も自由にできたので、ときには朝から晩まで。楽器の練習もしないで。ああ。

 

今思えば、体重が少なすぎ(一時は40キロ台)、運動しなさすぎ、ゴハン食べなさすぎの不健康少年で、体力不足が原因だったとわかりましたが。

 

今では体重も平均体重(お腹はやや出ている)で、ゴハンも(めちゃ)おいしく食べられる、睡眠時間も人並みくらい?だと思います。ただし、相変わらずの低血圧、で、朝は苦手。そんなんでも、カフェイン投入してがんばってます。

すべての「美しい」なにか。
Photo is taken by Ben Grey

僕は「美しい」いろんなものが好き。自分自身、そうだと認識したのは最近のことですが。(人って案外自分のことを知らないものだと思います)

 

美しいものと言っても、ひとそれぞれです。目を奪われる、ハッと息を飲むような、背中がゾクッとする、うっとりするような、ついつい見てしまう・・・。そんな瞬間が基準です。心が持っていかれるなにか、それが僕の中での美しいもの。

 

「美しい」というと、写真のようなグラフィック的なもの、造形的なものが思い起こされますが、美しい歌、美しい=美味しい料理、美しいことば、美しい動き・所作、なんてのにも惹かれます。あ、あともちろん美しい女性も。ですね。

 

—声フェチ?

 

音楽好きともつながりましょうか、「声」です。ただし「美しい声」と言ってしまうとなんだかイメージとずれがあります。魅力的だと感じるのは、ハスキーで、やや舌っ足らずで、透明感があって、どちらかと言えば弱くて優しい声。

 

—アートはパワーで感じる。

 

アートって、実際よくわかってないですが、好きでたまに美術館に足を運びますし、好きなアーティストが出ていれば、東京・大阪まで出掛けていくこともあります。(稀ですが)

 

世間一般の「アート論」について、僕が語れることはなにもないのですが、自分の中のアートの楽しみ方はシンプルです。パワーを感じるかどうか。だけ。

 

アート作品をみていると、圧倒的なパワーを放っている作品に出会うことがあります。そんな作品は、自分が好きな作品。それはなぜかとか理屈は置いておいて。そうやって見ていると、アートに触れるのが楽しくなってきて、だって、芸術家って、何の役にも立たないものに、ものすごいパワーを封じ込めている訳ですから。

 

「美しい」とは少しずれますが、アートに関しては、自分流の楽しみ方でもって触れていて、もちろん大好きです。

「生きる意味」とか考えちゃう。
Photo is taken by Jacob Bøtter

めんどくさいと思いつつ、ついそっちの方向へと、思考が進んでしまう。自分は何のためにうまれてきたのか?なんて。よく深刻になって、夜な夜なブログに書き付けたりなんてことも。

 

四六時中とは言いませんけども、なにかの拍子に頭の中にスルッと入ってきて、しばらく居座っている。「今これをすることに何の意味があるんだ?」大抵そんな時は生産性が落ちます。まったくもってめんどくさい。大抵、寝れば回復するというのはありがたい性質ですが。

 

あ、それは最近の話で、高校生〜20代中盤過ぎくらいまで(今思えば10年も!)、悩みに悩んで、ドツボにはまって抜けられなくて病院に通ったりしていましたが。今となってはただの思い出。そんな経験も"こやし"だと思えるくらいのポジティブさは身に付いてきたはずです。

 

—それは手段であって、目的ではないでしょ?

 

そんなわけで、なにかをするときは、いちいち深いところまで考えて、納得しないと気持ちが乗ってきません。

 

例えば、「お金は手段なんだ」とか。で、お金を稼いでなにがしたいかっていう、「人生の目標」が結局必要なんだよ、なんて。

 

もっと気軽にさ、毎日笑って楽しいからオールオーケー♪なんてできたらいいのではありますが、仕事でやっていることの内容を思えば、深く考える傾向はプラスに働いているのではないかとも思います。

音楽とロックンロールへの旅。
Photo is taken by Christian Bardenhorst

ロックンロール!!!!!

 

チャック・ベリーですか?エルビスですか?いえ、僕の中のロックンロールは魂の音楽。たとえ荘厳なオーケストラでも、静かに悲しみを表現したピアノの弾き語りでも、魂に響いて体が動けばロックンロールであります。(クラッシック音楽では、そうはありませんが)

 

ジョン・レノン、トム・ヨーク、そして曽我部恵一。彼らの音楽が、僕の魂の音楽の筆頭格。

 

—音楽の旅のはじまりは。

 

歌謡曲?と言うのかしらん。つまり僕らの時代だと8cmのシングルCD、で音楽を聴き始めたのは中学3年生だと記憶しています。遅いのです。なぜか?おぼこい家庭に育ったのでCDラジカセというものが家に存在していなかったのです!

 

そんな僕が、こんなにも音楽を好きになってしまったのはどんな理由があるのだろう。自分でもわかりません。

 

—エクスタシー?

 

一言でいえばこれでしょうか。中学3年生のミズノ少年は、チャゲ&飛鳥に標的を定めました。母親が好きだと言っていた影響と思われます。

 

今、思い出して感じているのは、音楽を次々に聴いていくことになった原動力は、「気持ちよさ」であると。音楽は快感。気持ちのよい音楽を追求していきます。

 

高校生になってからは、ミスチルをはじめヒットチャートをレンタルして、カセットテープにコレクションするという。

 

—売れてるモノはよいはずだ。

 

なんという短絡的な。今となってはそう思いますが、当時のミズノ少年は、売れている=多くの人に支持されていればいい音楽のはずだ。気持ちのよい音楽のはずだ。

 

しばらくすると、疑問が浮かんできます。なぜヒットチャート上位に入っているのに、気持ちよくないんだ、この音楽は?「売れているモノ=いいものとは限らない」ということを学んだのは、これが原点でしょうか。

 

高校生になるとキツかったハンドボール部を3ヶ月ほどで辞め、ギター部に所属します。そこから、楽器を演奏する人、歌う人、音を作り出す人というように、音楽を作る人目線で聴くようになります。

 

相変わらずミスチルは聴いていましたが(今でも好きです)、ギターやるなら聴かにゃと、ビートルズの赤版・青版をブックオフで買ってきては、これのどこがいいんだろう?と首をかしげていた高校生。

 

耳辺りのいいのは、BON JOVI、Mr.Big、VAN HALENに代表されるハードロック、ヘビーメタル勢で、これはしばらく聴いていました。

 

—旅はつづく。

 

バンド仲間に聴かせてもらったオアシスから、速弾きのないカッコイイ洋楽を知ります。・・・と、これ以上書くとキリがないのでこの辺りにしておきますが、ミズノの音楽とロックンロールへの旅は、永遠に続くだろうと確信できるのであります。

ふぅ〜〜〜。長いですね、お疲れさまです。一旦ここで休憩してはいかがででしょうか?

この下に、僕の愛すべきアルバム6選を掲載しておきます。(クリックでオススメ曲のYouTubeにリンク!)

ここでだいたい半分くらいです。ファイト!



真面目、なのだそう。
Photo is taken by Keith Burrows

自分ではそのつもりはないのですが、真面目なのだそうです、わたくし。

 

確かに、お酒は少々たしなむ程度だし、タバコにギャンブルはしないし、キャバクラ遊びも風俗にもいったことがないという。好きな人からしたら、なんてもったいないことをしているんだ、と言われそう。

 

そりゃあ興味はありますけど、まわりの環境のせいかきっかけがなく、お金もないし、好きな音楽が聴けて、夢中になれる本が常に1冊あれば、まあそれで、そこそこOKという安上がりな男なのです。

 

話はそれましたが、真面目。ねえ〜。そうでもない気がする、みんなだまされている。でも、人にそう思われるような行動をするという人間であるということは、わかっていただけましたでしょうか?

変わってるより、変わってく。
Photo is taken by allison

変わっていれば変わっているどいい、と思っていた20代。なんなんでしょう、やれやれ、よく聞く話です。「わたしよく変わっているって言われるの」という変わってる自慢の女の子は、ネットの中で叩かれるだけじゃなく現実に存在します。ある意味僕もそのひとりでした。

 

服装はその最たる例で、(自称)個性的でオシャレ(だと思っていた)。そして、サブカル・B級・アングラへの傾倒。今思えば、もっとぶっ飛んでる人なんていくらでもいて、中途半端もはなはだしい訳ですが、地元みよし・豊田界隈では、若干変わった人とみられていたようではあります。

 

—変わってるより、変わってく。

 

時は流れて、「人よりちょっと変わってるくらいのことって、なんの意味もないじゃん」とミズノ青年は悟ります。

 

仕事に就いてしばらくして、ある同僚の女の子が退社するときに言われたひとことがこれ。「どんどん変わってくよね」。あ!

 

そして、個人的に自画自讃している名(?)キャッチコピーが誕生したのです。「変わってる」んじゃなくて「変わっていく」人。そうありたいという願いも含めて。

 

この言葉の背景には、チャールズ・ダーウィンが残した『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である』 があるのは言うまでもありません。

 

—天邪鬼はまだいる?

 

ロックンロールの頁でも触れましたが、貪っていたヒットチャートに幻滅し、B級・アングラに傾倒した反動か「あまのじゃく」のようにメインストリームを嫌う傾向がありました。ヒットチャートにあがってくる音楽や、スーパーブランド。

 

さすがに今では分別もついて、売れてるモノの中にも良いものと悪いものがあることを知りました。(「非属の才能」という本にはほんと救われました)

 

でも、時々感じます。まだ自分の中にいる天邪鬼。たまにふとした時に目を覚ましては、「メインストリームに抗え」「お前だけの個性を追求しろ」とささやいてきます。まあ、それは、自分の中で飼い慣らしうまくやっているつもりですが。

 

また「変わっていること」を勲章にしていた過去がある割に、人にどう思われるか気になるきらいがあるようです。そんなもの、捨ててしまえばいいのに。

今より昔、ヒットチャートより名作だ。
Photo is taken by magro_kr

最近の傾向として、「今より昔」を追い求めるところがあるようです。ん、いや今より昔というと語弊がありそうな。今のものも見ますが。若干、昔の名作に寄っていく傾向があるというくらいでしょうか。

 

高校生の頃にビートルズを聴いたように、歴史的名盤と言われているならば、一度は聴いてみたいと思うところがあります。ジョン・レノンにボブ・ディラン、昭和歌謡やフォークなんかも。

 

マンガだと手塚治虫の「火の鳥」は、もう何回も読み返しているし、最近になって、黒澤明を見だしました。

僕のアイデアで世界を変えられたら。
Photo is taken by Daniele Marlenek

「発想」「アイデア」という言葉に過敏に反応します。アイデアっていいんですよね。

 

アイデアの素晴らしさについては、以前ブログで書きました。(アイデア・イズ・スーパーマン)本当に、アイデアはスーパーマンなのだと信じています。

 

アイデアを生み出す本とか、アイデア発想ワークショップなんて聞くと、とりあえずかじってみます。

 

今の仕事(Webの企画やコンサルティング)でやっていることは、その取り組みの一部にアイデアの力を必要とするので、興味と実益を兼ねているかもしれません。

 

—アイデアがスパークする瞬間。

 

アイデアがスパーク、思考がスパークとかって、勝手に呼んでいますが、そんな瞬間が好きです。世に認知されている言葉だと「アハ体験」でしょうか。(ちょっと違うかな)

 

フロやトイレ、自転車に乗っているときが多いでしょうか、頭の中に思考の塊が流れ込んでくるものがあるときがあります。「降ってくる」「降りてくる」と表現してもいいでしょうか。そんな時は、忘れないようにダダダッとメモに残しています。ハズレも多いですが。

 

そんなアイデアの種が、仕事や趣味で実際に具現化されることもあります。具体的には、新しい企画だったり、Webサイトの切り口だったり、一つのキャッチコピーだったり、歌だったり。

 

ただ、「アイデアはスーパーマンであるが、実現しないアイデアはただのアイデアでしかない」とも心にとめて置くようにしています。

 

—アイデアを具現化する力。

 

思えば、小さい頃から「これが、こうなっていたらいいのにな」と思っていたように思います。悪く言えば不満。よく言えば問題点の発見。

 

小さい頃は、形にするどころか、口にすることさえしていませんでしたから、頭のなかでグルグル回ってモヤモヤしているだけでした。今の仕事について、アイデアを具現化するチャンスを得て、少しは報われているように思います。

目立ちたがりの恥ずかしがり。
Photo is taken by Lif...

たぶん小学校の時の先生に言わせれば、「目立たないおとなしい子ですよ」と言われましょう。小学校・中学校・高校・大学とそれほど目立ったことはしていない・・・、あぁ、ギター部の発表で全校生徒1,200人の前で恥かいたりはしたか!

 

とにかく、自分の意識としては目立ちたがりだなんて、これっぽっちもこれも思っていませんでしたが、最近になって「もしや・・・?」と思うようになってきました。

 

まあ、音楽やるやつなんて、目立ちたがり以外のなにものでもないという説もありますが。人の前に出るのは緊張するし怖いけど、多分好きなんでしょう。の割に、「失敗したらはずかしい」なんて、小心者なので。

 

出たら出たで、気持ちいいし、なにより楽しい。それがわかっているので答えは簡単。「でます、やります」と言って、打席に立ってしまえばいい。そう思えるようになってきました。まだ、積極的とは言いがたいですが、機会は増えてきています。

 

—祭り好き。

 

目立ちたがりに関連して。お祭りって、つまり、非日常ってことだと思うんです。非日常で、もう一つ言うと、「ぐわーっ」となる。いわゆるお祭り騒ぎ。

 

毎日毎日、同じように平凡なことして過ごすのはおそらく苦手。変化を求めます。祭りは、テンションあがります、張りきるタイプです。

 

祭りとは違いますが、日々変化していたいと言う意味で、「松尾芭蕉のようにずっと旅がしていたい」なんて思ったりもします。が、実際その環境になったとして楽しめるのか?隣の芝が青く見えるだけなのかもしれません。

悩める器用貧乏。
Photo is taken by bajras

自分で言ってしまいますが、僕は「器用貧乏」です。辞書によると「なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。」(goo辞書より)

 

と、なんだか散々な言われかた。器用貧乏が報われる方法を教えていただけるものなら、教えていただきたい!

 

以前ブログにしたためた(器用貧乏は器用貧乏なりに、豊かに生きていきたいと、そう思うのです。)ように、器用貧乏なりのオリジナルを育てていきたいと思っているのです。サマルトリアの王子にはなりたくないなあ。

 

—器用貧乏の弊害。

 

とはいえ、現状なにか弊害があるかと言われると、技術や経験不足で制作が滞ってしまうことはないし、成果はそれなりに出ているしその対価も得られる。むしろ幅広い提案ができるのは良いところ。趣味の音楽でも、まわりに追いつけずにヒーヒーいうことも、今のところはないです。

 

今のところ支障はなくても、それだけじゃ満足できないのが自称向上心のある男の定めなのです。「アウトプットの質」と「気持ち的なもの」という二つが悩みのタネです。

 

例えば、Webデザインでも、コピーライティングでも、歌でもドラムでも、それを本職としてひたすら究めようとしている人には、とうていかないません。もっと突き詰めた高いクオリティを求めたい気持ちが出てきて、たまにモヤモヤ。

 

もう一つは、自分の柱どれなんだろう?ということ。別に決まっていなくてもいいんじゃない?という声もあるかもしれませんが、見ていると決まっている人って強いと思うんですね。と、ここでこぼしてもなにも変わらないのですがね。

几帳面の神経質の整頓好き。
Photo is taken by Vinoth Chandar

はい、細かいこと気になります。机は、おおかたキレイです。ツメは深爪で、甘皮?っていうのでしょうか、ぴろぴろしてるのが気になってしょうがないから、すぐにとっちゃいます。

 

ものが雑多に散らばっていると、あるべき場所に戻したくなる。構造を考えて、分類分けをして。ホームページもきっちりと秩序立てた分類をしてあげると、目的の情報にたどり着きやすくなり、満足度も上がります。

 

ちょっとめんどくさいところもありますが、几帳面の神経質は、この仕事に向いていると感じます。見た目の几帳面さも、Webデザインに反映されているかなあ。

 

—佐藤可士和さんが希望の光。

 

そんな僕にとっては、佐藤可士和さんが希望の光を照らすのです。可士和さんのデザインは、雲の上の仕事。ですが、彼のドキュメンタリーや本を読むと、いろんなところに几帳面さ、神経質さが見て取れるんです。

 

彼の言葉に「ボクは片付ける人なので、あなたは思い切り散らかしてください」があります。もちろん、それだけが彼の仕事を支えている訳ではないだろうことは、重々承知ですが。

 

それでも、二まわりも三まわりも小さいとは言え、同じデザインをするものとして、勝手に共感しては勇気をもらっています。(僕がしたいのはデザインじゃなくアートなんじゃないかってのは、ここでは置いといて)

 

想像ですが、佐藤可士和さんのツメは、女性もびっくりするほどピカピカなはずです。(予想)

さらけ出すのは パンク精神と、透明性崇拝から。
Photo is taken by Ted Silveira

(もし、ここまで読んでいただけているのなら)今回ここで、僕の内面について知っていただけたのかなと思います。

 

—さらけ出した。

 

さらけ出したつもりです。正直に自分のことを書きました。どうやら、辺りを見回してみると、こんなことをするのは一般的ではないのだろうな、と気づきます。なぜこんなことをするのか?・・理由はふたつあるでしょうか。

 

—コンプレックスを舞台に上げればそれはロックになる by 大槻ケンヂ

 

銀杏BOYZの峯田和伸が書く詩、神聖かまってちゃんのの子が書く詩、最低なまでの本心をさらけだした詩が心に響きます。少しも装うことがないからだと思います。

 

だから、さらけ出すこと=いいことである。という単純な公式が、自分の中に居着いています。

 

—正直経営推進派。

 

もう一つは、今のネットの流れでもある、「オープンであること、透明であること」これにとても賛同できるからです。

 

ネットが普及して、口コミがあふれ、みんなが検索することを覚えてくると、企業は嘘がつけなくなりました。Facebookが登場し、実名でネット上に自分を出すようになってくると、飾り立てた自分はリアルで会った人から信頼を失います。

 

ホームページを作っていると、良いところだけ伝えようとして、マイナスな面を隠そうとする方がいます。それは間違っていると思っていて、マイナス面があってもそれが事実ならさらけ出す、そこまで分かった上で買っていただく。ネットの普及で透明性のあがった世の中は、等身大のコミュニケーションが必要なのだと思います。

 

—本心で語らないと、自分がなにもはじまらない。

 

ずっとずっと自分に嘘をつき続けてきた人間が、ようやくたどり着いた答えです。まわりの反応を恐れて発する言葉、ちまたにあふれてる借り物の言葉では、自分の舵取りはできません。

「自由」と「ほんとうのこと」
Photo is taken by zharth

僕が一方的に尊敬していて、考えや思想を取り入れている人がいます。元コピーライターで「ほぼ日刊イトイ新聞」を主催している糸井重里さんです。(余談ですが、「ほぼ日」は僕が一番好きなホームページです)

 

—今までに自分が大切にしてきたものはなにか?

 

いつかの今日のダーリンに書いてあったと記憶していますが、「今までに自分が大切にしてきたものはなにか?」という質問に対して、迷うことなく「自由だ」と書いていました。僕は、あ、なるほど!「自由」あるある、そうね!

 

糸井さんのメッセージに共感できるのも、根っこにある「自由」が共通しているからではないのか、と。今思えば、20代は気ままな自由人そのもの。だし、今は会社勤めですが、しっくりこないポジションを変えたいと思って、あらがって、なんだかんだ自由にやらせてもらっています。

 

—ほんとうのこと。

 

自分が大切にしているもの、「自由」にもう一つ付け加えるとすると「ほんとうのこと」というものがあるんだと思います。ガンコの頁で「ウソがきらい」と書きましたが、今回はそういうことではないです。

 

「世の中の常識とはかけ離れているけど、本当のこと」ってあると思うんです。TVではこう言われているけど、学校ではこう習ったけど、この地域ではみんなこうしているけど、親はこう言っていたけど、この組織ではこれが常識なのだけど・・・。

 

案外、「おかしなこと」の方が多いのかも知れないな、と書いていて感じてしまいましたが・・。

 

まわりに合わせていた方が、ラクだし心地良いです。思考停止してまわりに合わせるのが一番うまい方法なのかも知れません。それで満足ならいいけれど、なにかわだかまりを感じるなら、声をあげるしか手はありません。

 

そして「ほんとうのこと」と言っても、結局、対立しているふたりからすれば、自分の意見の方が「ほんとうのこと」です。

 

これはどこまでいっても仕方ありませんが、僕の姿勢としては、いろいろなことを幅広く知った上で、まわりに流されず、自分で判断した「ほんとうのこと」を貫いて生きたいと、強く思っています。

さいごに

書きはじめたら、思いのほかテンションが上がってしまい、かなりの長文になってしまいました^^; ここまで読んでくれる人が、果たしているのか?と、今も、半信半疑で書いています^^;

 

さらけ出したつもりです。あ、いや、まだまだかな、できるだけ、出したつもりです。嘘は一つも書いていません。いいカッコしーなもので、多少色気を盛ってしまった(意図せずして)かもしれません。そこは仕様ですのでご勘弁ください。

 

とにかく、これを読んで、こんな人間と一緒に仕事がしたい!と思ってくれる人が1人でもいれば、もうそれだけで満足です。

 

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※このページで使われている写真は、Flickrからお借りしました。

 

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